激流のような日々であるが、生き甲斐の中で、息を切らせている状態じゃないと、生きてる気がしない俺にはこれがちょうどいい(苦笑)
バンドも望んだ事!
弾き語りも望んだ事!
会社社長も望んだ事!
レーベル代表も望んだ事!
男塾も望んだ事!
すべてが形になったならば、我が生活が激流となるのは自明の理。
そんな慌ただしい日々を噛み締めて生きる余裕はなかなかないが、昨日は心静かに【無】になる時間が持てた。
昨日、BIRUSHANAHのギターヴォーカル、イソ君が尺八の発表会により東京へ。
イソ君に会うため、すみだシンフォニーホールへ。
イソ君の演奏には間に合わなかったのだが(スマン!)、相変わらず元気なイソ君に会えて良かった。
尺八演者が50人弱もいるという、盛大なる会。
『横山勝也先生十三回忌記念』
〜独り吹きの会〜
尺八の音色は、感情の起伏にとても近いな、と感じている。
ヴァイオリンみたいだな、とも。
豊かなる時間だったな。
古典ってさ、歳を重ねるごとに、その凄さ、素晴らしさに気づく。
本物とは?と問われ、吉川英治先生が答えた
「しいて言うならば、時代の審判を受けたもの」
これの言葉の重みをヒシヒシと感じるのだ。
日本刀がなぜカッコイイのか?
それは刃物としての優秀さだけでなく、日本刀にまつわる物語、その歴史、今につながる時のトンネルに守られたという奇跡的な運の強さ。
すべて揃わなければ、現代まで残らないわけ。
小説などは、俺は古典ばかり読んでいるな。
ウクライナを見ればわかるが、現代の難問はなかなか解決に至らず血や涙ばかりが流れる。
すでに『史記』の時代、古代数千年前から、人間は同じ事を繰り返しているのだ。
そこに答えがあるかどうかは読んでみたらいい。
これほど好きな音楽だけど、古典と言われるクラシックはずーっと毛嫌いしてきた。
イコールお坊ちゃまのイメージが強くて、硬派に憧れたガキの頃から今に至るまで、ちゃんと聞いた事がない。
だけどね、最近凄く興味がある。
なぜってね、メロディの宝庫である事に気がついたわけ。
男55にしてようやくクラシックの凄さに感じ始めている。
バロックのフレーズの最後のメロディの仕舞い方、これが斬新だけど重厚。
こんなところにはじまり、今俺は膨大なクラシックの扉を、娘を道先案内人に開こうと思っている。
メロディに重厚感が感じられたら、それはその影響もあるかもね。
古典とは一言で言えば、歴史、そして型。
型を知らずに行けば、いつか創造に行き詰まる。
俺は『流れ星』を作った時に、まさにそれを痛感した。
最低限曲を作る、メロディを作る、伴奏を付ける時、知るべき知識のなさに打ちのめされたんだよな。
なぜ、この感性を音で表せないんだろう、
なぜ、この歌メロを活かす伴奏がつけられないんだろう?と。
最低限のコードを覚え、『流れ星』でのたうち回った伴奏が、
ようやく今は、簡単に出来るようになった。
アコースティックギターを弾くようになって変わったんだよ。
「あんなヤワな楽器、ロックじゃねぇから絶対弾かねぇ!」
と思っていたアコギで今は、前よりも激しい曲を作っている。
古典に触れた良き時間。
イソ君みたいに、日本人の伝統を重んじ、そこに身を投じて修行する仲間を、俺は尊敬する。
いつかギロチンテラーのアルバムで、尺八で客演して欲しいな、なんて思っている。
さて、今日は西横浜エルプエンテでライブ!
ぶちかますぜ!
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼
甦れ、武士道‼
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI