はっきりしない天気である。
しかし、快晴とは言えなくとも、自然の影響をダイレクトに受ける墨出し屋にとって、仕事が普通に出来る天気は、ただそれだけで感謝なのだ!
仕事が出来る環境、身体、社員がいるだけで充分幸せである。
2月も半ばになったが、正月にある事があった。
年賀状を毎年出している。
取引先が圧倒的。
今年は宛名印刷は業者に任せたんだが、その業者が言う。
「取引先一人一人に出されるんですね?」
「もちろん!みんなに世話になっているからね。ほかは違うの?」
「だいたい社長様や部課長様宛に出されてますね」
「へぇ~、そうなんだ。取引先みんなに出すものだと思ってたよ。知らなかった(笑)」
こんな会話をして数百枚の年賀状を出したわけだ。
創業し、各ゼネコンの一次業者になって以来、ずーっとそうしてきている。
金がかかるといっても、たかだか1枚百円程度。
それで挨拶出来るのなら、安いもの、と思うんだけどな。
中には電話をかけてきてくれて
「社長、年賀状ありがとう!今年もよろしくね」
と言ってきてくれる取引先もある。
さて、その年賀状だが、相手のゼネコンには人事異動があるわけだ。
同じ部署にいるとは限らない。
いかに毎日仕事をしていても、すべての取引先の内情について知る由もなし。
だから、部署名は書かずにゼネコン名と名前だけにしている。
誰かに教えてもらったわけじゃない。
自分で経験を積みながら、そんな事を覚えていったのだ。
我社の取引先の中で1番大きなゼネコン、世間ではスーパーゼネコンと言われるゼネコンにも、同じように年賀状を出している。
そんな中、このスーパーゼネコンのある所長(10現場ほど、この所長の下、仕事をしてきた。)から年賀状の返事が来た。
現場所長から営業所長になったこの方に、俺はいつまでもその営業所長と宛名を書き、年賀状を出していた。
今年、返事があった年賀状を見て、俺は驚いた!
そして感心したのだった。
なんと、年賀状の肩書きが、
〇〇建設
東京支店 副支店長
とあるではないか!
スゲェ‼️
所長、スゲェよ!
やったな~所長!
と我が事のように嬉しかったのだ。
現場の飲み会の時、タオルを頭に巻いて
「クルミさん、今日は飲もう!」
と言って、作業員にどんどん混じっていく所長が、だ。
このスーパーゼネコンの一次業者となるには、いくつもの難関を突破しなくてはいけないのだが、
決定的なのは、後押ししてくれる現場所長がいる事。
俺はすでに何現場もいっしょに仕事をした頃、所長に相談、いや直談判しに行ったのだ。
その時の言葉は、すでに日記で何回か書いている。
「所長、『三国志』お好きですか?」
「うん、知ってるよ」
「俺、劉備玄徳に成りたいんです!力をお貸し下さい」
こんなバカな事を言う奴は、世界中で俺くらいな者だろう(苦笑)
しかし、大真面目なのである。
仁義を武器に、一派を率いて、漢王室の復興を夢見た劉備が、俺は好きなのだ。
その願いが通じ、調達部門の更なる関門をいくつも超え、我社は〇〇建設の一次業者と成ったのだ。
スーパーゼネコンの、東京支店の、副支店長ってスゲェよね。
現在我社はほかのゼネコンの仕事で忙しく、〇〇建設の仕事をやってはいないが、いつかまた〇〇建設の仕事をやった時は、副支店長に挨拶に行きたいものだ。
営業所長の頃は、運転手付きのレクサスに乗っていたけど、
副支店長ともなれば、どんな車に乗ってんだろうな。
男の成り上がり物語が大好きだ。
そして、そこに自分を重ね気合いを入れるこの俺なのである。
追伸
この所長が仁義を大切にする人であるのを近くで見てきている。
ある時、墨壺を持ったおじいさん二人が現場にやってきた。
聞けば墨出し屋だと言う。
内心、俺は
「墨出し屋はうちだけでいいのに」
なんて思って、睨みをきかせていた。
所長がやってきて、
「クルミさん、紹介するね。俺がペーペーの頃に墨出しを教えてくれた人たちなんだ。すまないが、仕事が薄いらしいので、簡単な間仕切りの仕事やらせてもらえないかな?」
「そうでしたか!それならばどうぞ、そうして下さい。うちは鉄骨建て方や親墨などをやってますから」
1週間くらいして、そのおじいさん二人はいなくなった。
所長のこんなところを、俺は尊敬するんだよな。
仁義、至誠を知る者は、仁義、至誠に生きる者を決して見殺しにはしないものだ。
ダイナミックな人間に仁義、至誠は宿るのだ。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI