戸隠奥社から、西麻布の現場へ。
霊気、精気満ちる極みの山から、都心の一等地へ。
この落差というか、対極にある場所への移動が俺の生き方の振り幅のようで、なんだか面白い。
本日、西麻布の現場にて早朝5時より早出親墨出し。
昨夜7時には、まだ長野県南牧村のストローハットで夕食を食べていたのだ。
昨日は、愛車チャレンジャーに両親を乗せ、墓参りへ。
墓前にて、ご先祖に元気な姿を見せる事。
それがご先祖様への孝行であると信じている。
そして、戸隠神社奥社へ。
400年に植樹したという杉並木からの霊気、精気が凄まじい。
ただでえ、生命の息吹を感じる大木が並木になっているわけだからね。
奥社参道の途中、霧も出てきて幻想的で、神秘的。
もうね、凄まじいよ、この山の精気は!
俺は宗教的に死を考える事が多いわけではない。
生きてきた中で、大切な人の死、友の死を経て、その際のお坊さんの言葉、親の言葉、友の言葉、読んだ本、見た映画、聞いた歌などをすべてミックスさせ、それが俺の死生観に繋がっている。
曰く、肉体は死すとも、魂は不滅であり、何度も肉体に宿りながら、永遠を生きる。
そこに終わりはなく、存在すべてが無になるまで生き続ける。
だが、そうした場合、魂に新たな誕生はないのか?
その疑問に答えられるほど死生観を詰めて考えてはいない。
俺の死生観には、日本人らしい、神道と仏教と庶民に土着の民間信仰が角を立てることなく、結合していると感じるのだ。
新聞で読んだか、テレビで見たが、神道では、個々の魂は不滅であるが、何代も経るとやがて同族の魂は一つにまとまっていくらしい。
という事は、その同族で一つになってゆく魂により、減っていく魂が、新たに生の誕生とともに生まれてバランスがとれているのではないか、と思う。
なぜ、そんな死生観を考えるかといえば、武士道ではどう生きるか、という事もあるが、どう死ぬか、という事も相当重い。
ゆえに武士道を考えていくと、自然とどう死ぬのが一番いいのか、という事に行き着く。
奥社駐車場から奥社まで片道約2キロ。
親父もお袋もゆっくりゆっくり歩く。
俺も、両親を待ちながら、ゆっくり歩く。
昔はこんな事が出来なかったのだ。
急いでいく事だけが大切なような思い違いをしていたが、今はそうではない。
俺にとって一番大切な家族が、もはや健脚ではなくなってきた今、同じ歩みをしなきゃいけないんだ。
あの、霧がまく杉並木を、両親とともに一歩一歩噛み締めるように奥社に登ってゆく道程は、かけがえのない黄金のような時間となった。
石段が壁のように目の前に迫る場所にベンチがあり、俺はそこで両親に座って待つように諭した。
あとは坂道、行けたとしても帰りは大変である。
何しろ、昭和10年、12年生まれの80代である。
「これ、持っていって。〇〇ちゃん(娘の名)と、〇〇ちゃん(カミさんの名)の分もお賽銭投げてきて」
「うん、少し休んだら、先に駐車場まで下りていっててね」
俺はジャラジャラと手渡された五百円玉やら、五円玉やらを強く握り締め、石段をグイグイと登っていった。
握り締めた小銭は、駅伝で言うところの襷。
願いを込めて奥社でお参りした。
霧の中、両親を置いて先に行く時の心情。
それは、この幻想的で、精気凄まじき杉並木で、離れ離れになってしまったら、今生の別れになってしまうんじゃねぇか?
俺は気が気じゃなかった。
『水滸伝』の黒旋風李逵と盲目の母との話を思い出した。
まさにこんな山で母を一人にしてしまったばかりに、虎に食べられてしまった話を思い出し、涙が溢れそうになったのだ。
急いで山を下った。
いない。
先に歩いていってるのだろう。わ
そう信じながら、石で凸凹した参道を急いで下りていき、両親を見つけた時のホッとした気持ち。
あの杉でも参道はまさに、親子の絆を確認する儀式であったのだ。
おそらく、もう、両親とこの距離を歩くのは無理かも知れない。
そう思うと余計愛おしい、戸隠奥社の杉並木、参道だったのだ。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI
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