少し陽も差してきた東京。
と思ったら、また真っ白い空に覆われる。
一瞬でもお天道様を拝めると元気になる。
世の理不尽さというのは今に限った事じゃないが、次から次へとニュースになる出来事は続く。
こんな時は、誰にも公平で、誰にも媚びず、ゆえに非情とも言える自然や時の流れに身を任せる。
それは何もしないという事ではない。
肩に漲る力を一度抜き、
吼えたくなる心を鎮め、
真理を見るように努めている。
良く考えたらさ、俺は俺の流儀で禅の心を悟っているのかもしれない。
西郷隆盛は、奄美に島流しされた時、雨風が吹きさらし、厠がすぐ隣にある場所に幽閉された。
そこでひたすら瞑想をし続けたという。
劇的に変わりゆく世の中で、最前線ではなく、まるで世の中の事象から切り離されたような場所で、瞑想するとは、いかなる事か。
その心情はわからぬが、都に行ったらこうする、ああする、こうして新しい日本を建設する、とは考えてはいなかったんじゃないか、と思っている。
それは煩悩と呼ばれるモノ。
無ではない。
西郷隆盛は、無の中の無に自分を置いて、魂を研ぎ澄ましていったのだろう。
無になる時を作る。
それが、俺の精神的な健康法なんだろうな。
小学校の6年間、夏休みのラジオ体操の会場はは近くのお寺だった。
尼さんが、みんなの前で先生役をやり、終わったら、お寺の大広間に上がって座禅を組んだ。
今思えば、この真っさらな年頃に、座禅というモノを教えてもらったのは、今、様々な事象から距離をおき真理を読もうとする心に、大きな影響を与えてくれたんだろうな。
目まぐるしく変わりゆく世の中に無理してついていく事はない。
だが、世捨て人みたいに生きるつもりもない。
それでいいと思う。
枠がある中で、規制がある中で、出来る限りの事をやってみる。
新しい時代を作っていくのは、社会性も知り、だが、社会に合わせようとしても枠からはみ出てしまう異端児である。
追伸
先日、『燃えよ剣』の配役を、高倉健、菅原文太、石原裕次郎、としたものが見たい、と書いたら、鐵槌の昭司から、
土方歳三は栗塚旭一択!
と連絡が来てね。
どれどれ、とYouTubeに上がっている『新選組血風録』などを見たら、いかにも土方歳三!らしい役者だった。
春日八郎の歌もいいよ、
との事。
それも聞いてみると、猛々しくも切ない歌でいいんだよねぇ。
♬月に雄叫び血刀かざし 新選組の旗は行く
このフレーズのカッコよさ!
旗を挙げたからには、下ろしちゃダメなんだよな。
事象がどうあろうと、
ならず者だ、破落戸だ、と言われようと、
感染症があろうと、
旗を挙げて前へ進まねばならん!
事象に絡め取られる事なく、
旗を挙げ続け、事象に応じて進む。
ド真ん中を行く奴は、古今東西、異端児であるのだ。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI