GW休み3日目。
本日も東京は晴れている。
俺は朝から経理の仕事をしていて、今は庭で新聞を読み、アイスコーヒーを飲んでいるところだ。
仕事の進捗次第では遊びに行ってしまおうという魂胆である。
窓から入ってくる空気、
窓から見える青空、娘が最近自分のバイト代で買ったお洒落な自転車。
窓から聞こえてくる、踏切のチンチンという音。
それらは、この季節の平穏なる日常を感じさせる。
ただ一つ、物足りないモノがある。
子供たちの歓声
連休というのもあろうが、この平穏なる日常に、子供たちの声がないのだ。
競争しながら自転車で駆け抜ける音、
近くの小学校の校庭は立ち入り禁止なのかな。
夏になれば、南風にのって、近くの球場から高校球児たちの甲子園出場をかけた東京大会が行われ、
金属バットで硬球を叩く金属音、
ブラスバンドも猛々しく、
黄色い歓声も擦り切れるほどに、
試合の成り行きが手に取るように聞こえてきたものだ。
それが俺にとっては重要な夏の風物詩だったが、残念ながら、昨年はその音も聞こえてこなかった。
このコロナ禍、音が失われた感が強い。
音がないと、これほど寂しいものはないと思い知るのだ。
静粛も大切だが、日常生活は雑多な音にまみれていたいのだ。
息を潜めるように生きる人々。
俺には出来ないが、ひっそり生きて、是も否もなく無難に生きたいのだろう。
そうなればなるほど、世の中から音が消えていくのだ。
聞きたいモノはイヤホンで聞く。
自分の世界に閉じこもって。
それを否定はしないし、俺もスピーカーがなければイヤホンで聞く時もある。
が、だいたいはスピーカー。
なぜだろう、と思ったら、イヤホンに閉塞感を感じるのと、音楽を聞きながらも、ほかに生の息吹、暮らしの息吹を聞くチャンネルは空けておきたいのだ。
ドライブする時なんてまさにそうだ。
スピーカーで聞くが、窓を空け、街の息吹も同時に欲しくなるのだ。
コロナ禍で奪われたモノは自由なのかもしれないが、事象に換えてみると、暮らしの音を奪われたという事になる。
こっそり、ひっそり暮らすのは俺には耐えられなさそうだ(苦笑)
音を立てよ。
生活の音を。
歌え、踊れ、魂の音を奏でよ。
このままじゃ、葬式みたいな世の中になっちまうぜ。
歌え、踊れ、日常の中で。
コロナ禍に負けないためには、日常に音が必要なのだ。
そんな独り言を考えている、GW休み中の事務仕事の一服の時間なのである。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI
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