激流のような3日間を過ごし、日常に戻れば明日からは6月。
時が経つのは早いね。
時代の転換期に生きる俺たち。
先の見えぬ世の中で、生き方に正解はない。
せめて、自分の生き方は自分で決めて、後悔のないようにしたいよね。
ウクライナが大国に飲み込まれても、何も出来ないのが、あらわになった時代でもある。
もはや国も自衛、個人も自衛の時代だ。
誰かが何とかしてくれるわけじゃねぇ。
自分の人生は、自分で守っていくしかないんだよね。
一昨日、ライブのMCで俺はこう言った。
「ウクライナで戦争が起こっている。俺たちが歌うのは反戦歌ではない。戦争の唄を歌うのだ!」
そう言って、『流れ星』を歌った。
戦争がしたいわけじゃない。
戦争になった時に、生活が変わってゆく、その情感を歌いたいのだ。
教科書では戦時下、パーマ禁止、ジャズ禁止だった、と習った。
戦時下、不良少年たちは、どう生きたのだろう?
ガキの頃はそれが不思議でしょうがなかった。
今、俺たちは戦時下に重ねて語られる、コロナ禍のド真ん中に生きている。
コロナ禍を民がどう生きたか?
後世のやんちゃな男たちが、俺たち現世を生きる者からなにを学ぶのか?
どう見るのか?
俺は気になるね。
コロナ禍の最中、ハードコアバンドの爆音は途切れる事がなかった!
と、刻まれたいと思っている。
現に俺は、俺たちはライブを重ねている。
汗をかきながら、俺は叫び、歌い、吼える!
コロナ禍であろうがなかろうが。
コロナ禍というもので人生が覆われても、だ。
ならず者にはならず者の役割があるのだ。
俺はコロナ禍でも歌う事を止めない。
しかし、いざ戦争となり、国家の危機とならば銃を取り戦場に行くだろう。
俺と同じようなならず者が後世にも必ず現れる。
彼らが、俺たちの骨を拾ってくれると信じて。
沖縄では遺骨混じりの土が、辺野古基地の埋立てに使われる可能性があるという。
しかも米軍基地のために。
それはねぇだろ!
それはやってはダメな事だよ。
国のために亡くなった方々の骨を拾わず、何が国家ぞ。
社会が萎えてゆく中、逆風に負けずに生き様を貫く者がいる。
それらならず者は、国家の一大事には命をかけて祖国を守るだろう。
ならず者にはならず者の生き様がある。
時代を超え、そんなならず者がいたであろう、我が国の先人たちの遺骨。
その遺骨を収集するのは、戦場に送り出した国の義務であるのは言うまでもない事だよね。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼
甦れ、武士道‼
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI