雨だねぇ。
この雨のせいで、キンモクセイの香りが消えてしまい寂しいね。
しかし、こんな時は、ギロチンテラー7枚目のアルバム『吼えろ』を聞いて元気になって欲しい。
とはいえ、発売は、まだ10日以上先だけどね(苦笑)
メンバー曰く
大サービスの試聴!という話にもなった
『吼えろ』~Soul from Rising Sun~
試聴サイトはこちら↓↓↓↓↓↓↓↓
弾き語りを初めて4、5年経つが、何でアコースティックギターを弾くようになったの?
という話を聞かれたり、また聞いてみたり。
人それぞれの理由があるが、先日、BURNING SOULの写楽とそんな話になってね。
俺も写楽も、その根底に東日本大震災があるという共通点があったんだよね。
あの、同胞が多数犠牲になり、テレビからバラエティが消え、CMも金子みすゞの詩を繰り返し、日本中がお通夜のようになったあの時。
あの時ね、俺たちギロチンテラーはスタジオにしばらく入らなかった。
心が許さなかったんだよね。
ライブをやりたい!
とか、激しく叫びたい!
とはあまり思わなかったんだよ、実際。
嗚呼、こんな時に歌える自分たちの歌がなんでないんだろう?
命を賭けて、人生賭けてバンドをやってます!と言いながら、しかも20年もやっていながら、こんな状況に歌いたくなる自分の歌がない事に気がついたんだよね。
それからだね、バラードとか、演歌、唱歌童謡、軍歌、歌謡曲を、より好きになったのは。
この暗雲たち込める中、手を差し伸べるなんて偉そうな事は出来ない。
ただ、寄り添うぐらいは出来るはずなのに、その寄り添える歌がない事を悟ってしまったんだよ。
そして、東日本大震災から5年後に『浜風』という東日本大震災鎮魂の歌を作ったんだよね。
同じように、特攻隊鎮魂の歌『流れ星』、
空母に乗り群青に沈んだ祖父をはじめ、命がけで国を守る海の防人に捧げる歌『竹林ノ虎 蒼天ノ龍』
をアコースティックギターで作ったんだ。
攻撃する歌は20年歌ってきたが、攻撃する者、あるいは攻撃される者の心情を歌ってはこなかった事に、これでは好きな歌の幅のスケールが小さくなってしまう。
もっと泥臭く、もっと大衆に向けた、暮らしに寄り添う音楽を。
そう、強く思った契機が東日本大震災だったんだよね。
それとね、20代、30代に仲間がたくさん結婚した。
かしこまった披露宴に呼ばれ、
「クルミ、ヴォーカリストだから、なんか歌ってくれ!」
と言われた事が多々あって。
だけどさ、カバーならばそんな歌があっても、俺の歌!として胸を張って歌える静かな歌がなかったのが、実は凄く悔しくてさ(苦笑)
俺、歌が大好きでヴォーカリストやってんのに、親友に送る祝いの歌の一つもないのか?
ってね。
悟ってしまったんだよ。
パンクに拘るあまり、小さな穴からしか歌を見ていなかった事に。
こんな経験や東日本大震災があり、アコースティックギター弾けないとバラード一つ作れねぇな、と思って最初に買ったのが、たしかモーリスのアコースティックギターと思う。
そして、『Redemption Song』でOvationを弾き歌うボブマーリーにヤラれてしまい、Ovationを2本買うんだよね(笑)
今、晩酌しながら、ポロンポロンと弾く時間が好きだ。
コード譜見ながら弾き語る場合もあれば、
コード進行を決めずに適当なコード進行でアルペジオを弾いたり。
このアコースティックギターというモノで、随分晩酌が楽しくなった。
死ぬまで弾くだろうな、おそらく。
メロディを奏でる原始的な楽器を。
『男塾』の面々見てみなよ。
今見ても、超豪華なメンツだから。
それも、弾き語りをやっていなければ、アコースティックギターを弾いていなければ、知り合う事のなかった人々だ。
アコースティックギターがあったからこそ、仲間となれた仲間なんだよな。
『流れ星』など、漢のシングル三部作(2016年リリース)から、ほぼ作曲は俺がアコースティックギターで、という態勢になった。
まず、出来上がったら、スタジオでメンバーを前に新曲を弾き語る。
だいたいのピッチを決め、バンド編成でラフなアレンジをして、改めてキーを決める。
そしてそのキーで、メンバー各自本格的にアレンジを考え、しばらくしてから、せーの、で合わせる。
そんな感じで作り初めて5年近く経つのかな。
色んな思いをのせて歌っている。
聞いた人が、そのメロディ、その歌詞に共感し、生活の中で口ずさんでくれたなら、俺たちの挑戦は間違いではなかった!と思えるんだよね。
ジャパニーズリアルソウルミュージック
ギロチンテラーが、吼流魅がやります!
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI