よし、晴れたぞ‼️☀️
この青空を待っていた。
南にある坂の上には夏らしい真っ白な入道雲が見える。
意気揚々としていて、見ていて気持ちがいい。
『坂の上の雲』とは、司馬遼太郎もよく言ったものだ。
朝日、旭日
そんな勢いを感じる、坂の上の雲。
空を見上げる。
風に吹かれた雲が流れてゆく。
昔テレビで見た、煙突掃除か解体の職人のおじさん。
脆くなった煙突をテッペンから大ハンマーで壊していく。
考えただけで恐ろしい。
自分が立つ、煙突のテッペンを壊していくのだから。
カラスに攻撃される事もあるという。
面白かったのは、上を見ない事。
流れる雲を見ると、平行感覚がおかしくなるからだという。
いつもならこの時期、書類仕事をしていると近くの球場から高校野球西東京大会の熱気が、風を伝ってやって来る頃だ。
ブラスバンド部の猛々しい演奏、
女学生の黄色い歓声、
カキーンとこだまする金属バットの音。
その場がまるで甲子園のアルプススタンドのように感じられて、いつも頼もしく感じたものだ。
梅雨明けのささやかな楽しみでもあった。
だが、今年は100年に1度の疫病の当たり年になってしまった。
我々は全世界中あますことなく、このコロナ禍の中に生きているのだ。
じたばたしても始まらぬ。
自分で出来る事など、そして人間が生活をしながらこのウィルスを制御するなど、実は不可能であると感じている。
よって、やるべき衛生的な手続きは踏みながらも、このコロナ禍の毎日を過ごしていかねばならんのだ。
諦めているわけではない。
ただ、個人の力でどうにもならない事を一喜一憂し、神経をすり減らしエネルギーを使いたくないのだ。
そのエネルギーは日々を野性的に生き抜く事にあてたいのである。
夏の風情から散々遠ざけられる今年の夏。
世界中のウィルスを止めなければ、いつまでもこの生活は続く。
それを後ろ向きにとらえるか、前向きにとらえるか。
それは、国や地方自治体、WHOが決めるのではない。
己が決める事!
ちぎった綿あめみたいな流れる雲、
あるいは坂の上、山の上に見える真っ白な入道雲。
そんなものを眺めながら、タライの水に手を突っ込み、キンキンに冷えたラムネなど飲みたいものだ。
そんな夏の風情を楽しむ事は、やろうと思えば出来る事。
そして、それさえ手間だと思うなら、空を見よ!
流れる雲を見て、五感を研ぎ澄ませ、マスクをとって深呼吸する。
それだけでも、かなり違うよ。
つまらないと言って嘆くボンクラは、己の遊び心がまだまだ未熟なのだ。
どう生きるかは、自分の感性で決めよ!
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI