夜中雨が降ったようだ。
朝は曇っていたが、今晴れ間が見えてきた。
池波正太郎『西郷隆盛』
文庫本一冊ながら、中身を噛み砕いて自身の栄養にしたいがため、ゆっくり読んでいる。
いよいよ場面は西郷隆盛の大仕事、
勝海舟との会談、
大政奉還、
廃藩置県、
と、明治新政府は新しい日本を創っていく。
そのド真ん中にいたのが西郷隆盛だが、彼が凄いのは、中央での活躍を脂ぎった信念によりしがみついていたわけではないところ。
嫌気がさせば、官位など捨て故郷薩摩に隠居する、その無私の心。
これが、大久保や木戸、あるいは多くの成り上がりとは違うのだ。
凄まじい度量におそらく皆呆気にとられただろうね。
明治新政府の最高指導部、参与は
西郷隆盛
板垣退助
大隈重信
官位は、小三位。
薩摩の殿様、島津忠義が従三位。
殿様よりも、家来の方が官位は上。
西郷隆盛には心酔する行動が伴っているのだ。
「万民の上に位する者は己をつつしみ、品行を正しくし、驕奢をいましめ、節倹につとめ、職務に勤労して人民の標準となり、下民、その勤労を気の毒に思うようならでは、政令はおこなわれがたし」
この辺りの西郷隆盛の逸話がいくつか書いてあるが、
豪胆、至誠、仁義!
こんなに日本男児を代表する男がいるだろうか。
暗殺に来た坂本龍馬を心服させた勝海舟といい、西郷隆盛といい、彼らが幕府と新政府のすべてを握っていたわけではない。
下手な交渉をすれば、自陣営の跳ねっ返りに斬り殺される恐れもある。
しかし、そんなものは、江戸を無血開城する事や、国家の建設に比べれば、何でもないのである。
それを体現した二人はやはり時代の英雄なのだ。
歴史小説、歴史書の著者が感嘆の意を込め口々に言う事。
それは時代の変わり目には、それ相応の人物が必ず輩出されるという事。
時代を変えるのではなく、変わりゆく時代が英雄を求めるのだ。
ガキの頃から、何処までも、いつまでも、英雄にロマンを感じる。
カッコイイ男とは、生き様で決まってくるのだ。
我が精神よ、
我が肉体よ、
そして、我が行動よ、
我が歌よ!
時代を回天させたまえ。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI