筒美京平を偲ぶ
昨日、筒美京平さんが亡くなった事を知り、残念だと思うともに、日本語の歌を歌い抜く決意にも似たものを感じている。
昭和歌謡が好きだ!
と言いはじめたのは、いつの頃からだったか?
歌謡曲を、筒美京平を語るという事は、日本語の歌の歴史、そして、俺自身の人生を振り返りながらでないと語れない。
高橋圭三はよく言ったものだ。
歌は世につれ、世は歌につれ
まさしく世の移り変わりと一体となって、日本国民を時に鼓舞し、時に慰めてきたのが、歌謡曲というものだろう。
沢田研二や西城秀樹、ツイストなどをテレビで見て、憧れていたガキの頃。
それがやがて、洋楽のロック聞く事がカッコよくなり、
その中でも、パンクが最強だ!と感じてからは、幼少期、そして小学生の頃好きだった歌謡曲は、人生という道路の道ばたに置いてきた。
詳しくは、置いてきたつもりだった。
だけどね、ある時、ふとちあきなおみの『喝采』を聞いた時、懐かしさとともに、ロック、洋楽を一通り聞いた耳、感性がザワついたのだ。
感動していた。
そこから、俺は捨ててきたつもりの歌謡曲が、実は自分の血となり、肉となっていた事を、強く認識したのだ。
捨てていなかった。
置いてきていなかったんだよね。
ガキの頃、家族で買い物に行った時、友だちに会った時の気恥ずかしさ。
歌謡曲に対する気恥ずかしさは、そんな感じじゃないかな?
だけど、成長してからは、故郷や家族がもの凄く大切に感じる。
まさに今、同じような感覚で歌謡曲を聞いている。
日本語の歌が完成されたのは、歌謡曲というジャンルがあったから。
大衆に向けて作られた歌謡曲ではなく、
先鋭的なロックへ。
そしてそれが相反するものではなく、ともに血に流れている事を知った時の愛おしさ。
筒美京平が作曲した作品群を見ると、その数、そして質に驚愕してしまう。
どの曲がいい、とか言うレベルを超越しているのだ。
とはいえ、中でも好きな曲を書き連ねたくなる(笑)¥
たぶん1番好きなのは、
浅田美代子の『赤い風船』
これは、俺のレパートリーに昔から入っている。
懐かしさ満点なのが、
郷ひろみ『男の子女の子』
麻丘めぐみの『私の彼は左利き』
尾崎紀世彦『また逢う日まで』
近藤真彦『ブルージーンズメモリー』
本田美奈子『1986年のマリリン』
書いていたらキリがねぇな(苦笑)
ロック、ソウルにも影響を受けているだろうが、素晴らしいのは、それを大衆にも分かりやすくした事。
頭でっかちの奴は、それが出来ないんだよね。
それが一番忌み嫌うエリートと同じだという事に気づいていない。
古賀政男が昭和歌謡の初期に頑張った人なら、
筒美京平は中興の祖という系譜になるのではないかな。
日本人の生活に寄り添った日本語の歌。
今、まさに俺はそれを追い求めているが、筒美京平、そして歌謡曲というものは、ずーっと昔からそれを作ってきてくれていたんだよね。
その歌を聞いて育ってきたんだよな。
日本語の歌を歌う者数多く、その末席に俺もいるわけだが、筒美京平氏を偲び、いつまでも日本語の歌、日本語に合うメロディを追求していこう、と心に誓うのだった。
追伸
昨夜は夕飯食べてから、スタジオへ。
一人アコースティックギターをつま弾きながら、筒美京平さんの歌のコードを調べて歌った。
筒美京平祭りだよ。
アコースティックギターで曲を作るようになって、改めて思う。
素晴らしい作曲家だった、と。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
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