音楽の迷宮に彷徨う
我社のGW4連休も終わり、本日から日常に戻る。
まあ、俺は24時間365日、仕事が常に隣り合う感じではあるけどね。
明日は現場仕事、
明後日は事務仕事のちお楽しみの行事がある。
このコロナ禍、面白い事をやっていかないと。
時間は元には戻せないからね。
無駄な時間は1秒たりともないのだ。
そう自分に言い聞かせている。
この梅雨前の季節特有の感じ。
ジリジリと近づく梅雨のシーズンを考えるとイヤになるが、まあそれも受け入れやっていくしかないわけだよね。
真っ正面から受け止める。
結局、それが一番自分を強くするし、結果にも表れるんだよな。
昨日はGW連休最後、こどもの日。
庭で娘とバーベキュー。
詳細はまた後日。
夜は毎週水曜日のスタジオ。
5/29西荻PIT BAR
黒嵐レコ発売のリハーサル。
楽器隊は楽器隊で3時間。
俺はとにかく弾き語りで歌を歌い続け、喉に喝を入れ、後半は新曲づくりで4時間。
GW連休の最後の最後は、バンドで締めた。
弾き語り練習の時、弾き語りの動画を歌い、撮るんだけど、昨日は内山田洋とクールファイブの
『長崎は今日も雨だった』
を弾き語りで歌った。
♬酒にうらみはないものを
まさに今の気分なんだよね。
新曲はギロチンテラーの新曲2曲の骨格をあっちから、こっちから、ハミングし、光景を想像するが、どの角度から眺めても閃かない。
おりてこない。
曲を作ろうとすれば、どうしても思い入れが強くなる。
その思い入れが、実は安易なメロディや歌詞を受けつけないのだ。
だから余計閃かなくなるというね(苦笑)
何の思い入れもなく、何となく作ったコード進行にメロディと歌詞を当てはめて作るような曲の作り方に抵抗がある。
いや、それでもいいはずなんだが、自分の歌として発表するには、自分自身がそれではイヤなのだ。
だから、なかなか出来ないわけだよね。
自分でハードルを上げていくわけだからなぁ。
だが、それでいいとも思っている。
ギロチンテラーとして作り、メンバーに
「新曲出来たから聞いてくれ!」
と言うには、それなりの曲じゃなきゃ聞かせられない。
自分の弾き語りのための新曲も同じ。
自分で作詞作曲しました、みんな聞いてね、
とステージに立ち、人様の前で歌うには、それなりの曲じゃなきゃ聞かせられない。
バンバン曲が出来る人が羨ましいが、まあそれは個人個人の感じ方の問題。
俺は、煮詰めて煮詰めて、これ以上は手詰まりだ、というところまで追い込むと、不思議と閃くのだ。
いわゆる、おりて来るのだ。
印象的なメロディ
光景が想像出来る歌詞
それが閃くまで、のたうち回るような創作活動をしていくのだ。
そして1曲出来たら、また次の曲が閃くまでのたうち回る。
苦行だよな(笑)
だけど、そこにやりがいと生きがい、何より人生の骨格でありライフスタイルであるバンドが絡むわけだから、苦労しようが何しようが、全てが楽しい、面白いのだ。
自分の感受性に刺激を与えるため、本を読む、映画を見る、絵を見る、旅をする事がある。
だが、決定打は日々の労働の中で培われていくのだ。
日々の労働が俺の曲作りの土壌となっている。
結局、新曲には少しの進展なかったが、良き夜、いつもの水曜日の夜だった。
追伸
曲作りをしていて、面白い事を考える事がある。
それはギロチンテラーとか、吼流魅とか、ハードコアとかを一切気にせず、別人格を想像して作り、その別人格が曲を作ると、また新たな地平線が見えてくるんだろうな、という事。
リアルを求めているゆえ、ファンタジーのような歌には強い抵抗がある。
だが、そのファンタジーのような曲も作ってみたいし、歌ってみたいと最近は思ったりするのだ。
たとえばカバーではフラれた女の歌をしみじみ歌うが、その曲を作るとなれば、俺のゴツゴツした人格とは別の人格を想像して作らないと、曲は作れない。
逆を言えば、いくつもの人格を想像して作れば、その作っただけの人格の曲が出来る可能性がある。
今、これに挑戦してみたくてね。
俺はリアルに拘るけど、職業作家は当たり前のようにそんな事をしているんだろうな。
たとえば、
先日の『男塾』の曲のテーマは【卒業】
塾長みずから、いまだ卒業の歌が作れずにいるが(苦笑)、中学生なら?女子高生なら?男にフラれた女なら?と人格を別に作るとイメージも今まで以上に自由に沸いてくる。
曲づくり。
何でもありゆえ、途方もない荒野で宝物を探さねばならん。
奥が深いねぇ。
そして、俺はこの音楽の迷宮に彷徨う時間や自分が嫌いではないのだ。
創作とはそういうモノなんだろうな、わからねーけどさ(苦笑)
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI
パンク・ハードコアランキング
にほんブログ村