俺は反共、反新興宗教
少しだけ陽が指してきた練馬区某所。
7時から早出で監督と外構墨出し。
今は、監督と杭打設前の杭芯確認をしている。
一人作業の杭芯確認もいよいよ大詰め。
杭屋と入れ替えに、山留杭の業者が入ってきて、
杭、
山留杭、
とますます基礎工事らしい現場となっている。
昨夜は各局8時から選挙特番。
俺も近くの小学校に投票に行ってきた。
これだ!というほどジャストな候補者はいないが、政党はある。
この思い、国政へ!
結果はトントンといった感じだな。
共産党と公明党を政権からは引き離さなければ、政権中枢で洗脳、共産党ではオルグというものが始まる危機感を感じている。
だから、このニ党は政権にあってはならないのだ。
新興宗教も、共産主義も、排他的だと感じている。
他を認めぬ狭量というのは、たかだか政治で人生を棒に振る可能性さえあるのだ。
たかだか政治である。
政治の考え方、思想など、その人間の一部分。
それを政治的な違いで、すべて無しにしたら、狭量になっていくに決まっている。
政治にスポーツマンシップのようは爽やかさはない。
ゆえに、戦い終わったらノーサイドという綺麗な考え方が根付けばいいが、どうもそうはいかなそうだ。
幼馴染みの西郷隆盛と大久保利通が、結果反目しあったのは、政治の違いであり、その差はお互い熱くなればなるほど埋まらない溝となる。
それは
戦が必要だ!
と西郷隆盛に言わせるほど、頑ななのだ。
しかし、その頑なさは血を見る。
血を流さなければ決着はつかなくなる。
それがイヤならば、異論を認める寛容さがないとダメだろうな。
一時の感情をネットに書き散らす文字を、子供に見せられるだろうか?
我が子に見せられるものかどうか?
が俺の場合のボーダーラインだ。
感情で政治を語れば出口はなく、敗者しかいなくなる。
選挙という戦いで結果が出たからには、勝者の政治を見守る。
それが近代より世界を覆う、多数決による結果を政治に活かす民主主義というものだろう。
軍国主義、独裁政治を否定する者が、民主主義を否定するとは甚だ滑稽だ。
ぼちぼち
あるいはまあまあ
くらいで政治は見ておかないと、国は分断されていくぜ。
その削がれた力の国家を、涎を垂らして征服せんとする隣国がいるのを忘れるなよ。
何よりも、日本が大事である。
日本の風土、
日本の山河、
日本の武士道、
日本の精神、
日本の領土、領海、領空、
日本の未来。
それが第一となるように、国際社会で胸を張り存在する国になるための政治!
必要なのは、そんな政治であり、
必要ならば消費税をとればいいし、憲法も改正すればいい。
柔軟な思考をしていないとケガするぜ。
追伸
何度も書くが、政治思想や信教は自由である。
しかし、政治という、国民の生命にかかわる事を決める場において、共産主義政党や宗教政党が政権にある事には反対の立場であることには、俺は頑なである。
オウム真理教を見よ!
共産主義の歴史を見よ!
赤化、教化の果てに、人格、思考が骨抜きになる怖さをしっかりと想像すべきである。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
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