蒸し暑いぜ、東京!
キツいのは、暑さではない。
暑さを伴った高い湿度である。
炎熱下、高湿度での労働。
それは俺にとっては、ガダルカナルであり、南方の航空母艦の甲板、戦線なのだ。
この垂れた汗が瞬時に蒸発する炎熱での労働に、俺は戦線を重ねるのだ。
気がつけばもう8月である。
昨日は広島原爆の日、
9日は長崎原爆の日、
15日は太平洋戦争終戦の日である。
いつの間にか、この蒸し暑さ、もくもくとわく入道雲、その後ろにある透きとおった真っ青な空、に太平洋戦争を重ねるようになっていた。
お盆というのもあるだろうが、この蒸し暑さに南方の戦線、炎天下での戦闘、飢え、を連想するのだ。
また逆に、極寒のシベリア抑留も忘れてはならぬ。
今、俺は、この蒸し暑い東京において、極寒のシベリアを想像し、引き揚げ船、満蒙開拓団の歌を作っている。
決して忘れてはならぬ戦争の記憶を、せめてこの酷暑に、そして極寒に想像したいと願う。
毎年書いているが、8月に入ると、ガキの頃は戦争特番や、歌により当時の回想をする番組があったものだ。
バタヤンや鶴田浩二の歌う軍歌や戦時歌謡に涙した親父やお袋の世代はすでに80代になる。
戦争を知らぬ世代だけでの世の中となる事への危惧を、俺の親父やお袋は孫を思い感じているようだ。
先日水曜日。
いつものスタジオ練習後、ギラギラした魂はまだ冷めず、コンビニに寄っていまだ燃ゆる魂を鎮めてから、帰宅した。
水に浸けたようにびしょびしょに濡れた服を洗濯しながら、素っ裸でテレビを点ける。
NHKで『映像の世紀』という番組をやっていた。
このシリーズは、質も高く、特に戦争に関する映像はまだ見た事のない映像もあり、非常に素晴らしいものである。
世界史の中での第二次世界大戦。
そこに映る映像は、生々しい人間の生と死を冷酷なまでに移している。
ガダルカナル、オキナワ、カミカゼ、ヒロシマ、ナガサキといった、海外から見た日本の戦争もあったのだが、俺は食い入るように画面を見つめていた。
こんな資料的価値も高く、歴史を学ぶ機会としては申し分ない番組を、なぜ平日日付が変わってから流しているのか、残念に思った。
こんな番組こそを、ゴールデンタイムに流すべきである!と。
歴史を学ばねば、未来も見えては来ない。
同じ過ちを繰り返さないために、歴史を知る義務もあると思うのだ。
図書館に行って調べたり、現地に行って見たりするのはその先の話である。
俺がそうだったように。
バタヤンや鶴田浩二の歌を聞く親父やお袋の涙や祖父の墓参りが、太平洋戦争を知る入口であったように、テレビを点けたら戦争についてやっているのが、戦後の日本ではなかったか?
この炎熱の日本の夏、経験してないわりに、戦争について記憶があるかのような感触があるのは、生活の中にそれを想起させる映像や歌が繰り返されてきたゆえ。
それがなくなっていくという事は、伝えていくべき事が途切れてしまう事になる。
大きな力を持つメディアは、その辺りの自覚をしっかり持つべきだと願ってやまないのだ。
追伸
男らしい気風の人間が集まる現場。
もしかすると、人間同士の殺し合いの記憶を消さないために、天は、屈強な、男の中の男たちを現場労働に集め、炎熱と極寒での労働によって、戦線を想起させているのではないか?
とさえ思えてくるのだ。
決して音を上げぬ、心身ともにタフな者たちに、それを託していると思えてくるのである。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI