東京は朝から晴れ☀️
このままずっと晴れる事を願う。
雨が降ったり風が吹くと、あっという間に桜が散ってしまうから。
昨年は日本中で花見が自粛され、寂しい春となった。
せめて今年は花見をしたいのだ。
2年も、この忌々しいコロナというモノに行動を制限させるわけにはいかないのだ。
家の近所にある大きな公園は、八王子の中でも桜が綺麗な場所で、特に夜は出店がズラリと並んで賑やかな花見となる。
まあ、そんないかにもな花見は出来ないとしても、ワンカップや缶ビールなんぞを持って、夜桜の下を歩く事くらいはいいだろう。
毎年、この公園で見る夜の花見の光景は、俺には人間の人生を感じる絵巻物のように見えたものだ。
作業服姿の若いお父さんと手を繋ぐ幼い子供。
はしゃぐ子供を、少し後ろを歩き、その姿を目に焼き付けるような微笑みながら見つめる若い茶髪のお母さん。
少し薄暗い場所では、中学生か高校生の男と女がグループを作って分かれている。
誰々が好きだ、とか、誰々と付き合いたい、とかそんな事を告白しあう場ってあったよね?(笑)
酒に飲まれたオヤジがくだをまく姿もまた季節感があるものだ。
そんな市井に生きる人間の日常の、ほんの一時の幸せな時さえ制限するとなれば、それはこれからを生きる子供たちの精神的な人格形成に悪影響を及ばさないか?
俺はそれが心配だ。
野を駆け、山を登り、川に足を踏み入れ遊んできた俺から見ると、あまりに不自由過ぎてさ。
まるで善人しか生きる価値がないかのように、コロナは善悪に白黒つけようとする。
そういう、あまり見せたくないモノを見せ、
真の姿は隠そうとしているようにさえ感じられるのだ。
子供の頃に作られるべき耐性は、子供の体力と精神力を信じて賭けるべきだと俺は思う。
もし、こういう祭りの夜を、子供たち、あるいは思春期の遊びたい盛りに取り上げてしまうのは、あまりに子供たちをないがしろにしていると感じてしまうのだ。
たしかに危険だろう、人が密になる場所は。
花見で、屋外とは言え、コロナに感染するリスクは、家に閉じこもっていた方が少ないに決まっている。
だけどさ、ただコロナ1つのために、残りの99を犠牲にする事に腹立たしさを感じるのだ。
人生ってさ、楽しいモノなんだよ。
外には面白い事がたくさんあるんだよ。
それを好奇心で見つける宝探しのような事を禁じるあるいは制限すべきではない。
俺たち大人は、随分遊んできたからさ、今我慢しろ!と言われてもいいけどさ、一番感受性豊かな頃には、ナンパしたり、イタズラしたりさ、外で遊ばせてやりたいよな。
遊びを知らぬ大人は、遊ぶ事を禁じたがるが、時の流れはあっという間だよ。
遊びを知る大人がもっと力を持つべきだな。
昨日夕方は、俺のオアシスへ。
しばらく焚き火してないから、焚き火をしたくてね。
もう焚き火中毒だな、これは(苦笑)
一昨日雨が降ったから湿っぽいのはわかっている。
あえて、そんな悪条件でファイアースターターで火を点け、河原にある流木、枯れ木で焚き火をするというチャレンジ。
軽く焚き火をする。
夜まで時間がない限られた時、自然に燃やし尽くす量を考えたら、小さな焚き火で充分。
昨日の夕陽は綺麗だったな。
赤とピンクを混ぜたような色。
自然の造形美にしばらく見とれた夕方だったな。
さて、本日、福生チキンシャックで
『AIR BASE BLUES』復活!
久々の福生チキンシャックで弾き語りライブだぜ。
今回から、トヨが企画パートナーだ。
面白くしていくぜ。
おもしろきこともなき世をおもしろく
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI