カサカサの指が少しマシな感じ。
指で湿度が少し高くなった事がわかるようになってきた(笑)
乾いた冬の寒さと晴天続きの日々は、好きである。
お天道様が顔を出してくれれば、それだけで元気になるのだ。
今朝の朝日新聞朝刊。
国文学者で万葉集研究家の中西進氏のコラム第14回目。
親友であるという作家の半藤一利氏について語っている。
東大国文学科の同級生との事。
二つ興味を持った事が書いてある。
東大を卒業し、文藝春秋の編集者になった半藤氏。
お互いにまだ若手の頃から、和歌の特集の監修など仕事を持ってきてくれた、という。
日本の仏像ベストテンという企画では、中西氏が挙げた仏像を、監修の美術家が「見劣りする。入れるなら監修を降りる」と言い出した。
それでも半藤氏は「入れておいたよ」と言い、引っ込めてなんて言わず、黙って筋を通す男だったとのこと。
このエピソードを見てね、俺は二つの事に興味を持った。
一つは東大卒の秀才というのが、世の中の目に見える部分を動かしているんだな、ということ。
もう一つは、秀才であり、友を大事にし、筋道を貫く硬骨漢がいたんだということ。
若いうちから、仕事を友人に持ってきて、その友人もそれに応えたいい仕事をする。
こうして閥が出来上がっていくんだな、ということ。
学閥というものには、弊害もあろうが、そこには友情や愛校心という大切なモノもあるという事。
俺はこの二人のエピソードに、大正、昭和初期のバンカラな男臭さを見る。
それはとても男臭いのだ。
秀才であり、硬骨漢でもある者が多数いたんだよ、日本人にも。
漫画の話だけどさ、『魁、男塾』の江田島平八の学友に、総理大臣がいた。
あれね、俺は凄くわかるんだよ。
バンカラな校風が残る偏差値が高い学校というのが、現に日本にあったからね。
まあ、俺は秀才ではないから、せめて筋を通す好漢でありたいと思っている。
そして、高名な美術家よりも、友を選ぶ。
この半藤さんの気骨は、相当だと思うね。
編集長に、もっというと文藝春秋の上層部に直々に怒りの電話が入るかもしれない。
いかに東大卒の秀才でも、ヘタをすれば編集者として命取りになる。
それでも友を選ぶってさ、半藤一利さんの気骨を感じるんだよ。
その友の気骨をしっかりと世に知らしめる、この万葉集研究家も大した人なんだよな。
友情と言えばね、昨日の『新・座頭市』がエグかった!
仲の良い、市があんなに喜んで再会する奴はなかなかいない。
その幼馴染みが、この町は人情味があるから、ここに腰を落ち着けて俺と二人で住もう、と市を誘うんだ。
市も町の人情に触れたシーンがあってね。
だけどね、市を狙う卑劣な賊が市を痛ぶろうとするんだよ。
草食動物みたいな民の子どもたちを人質に、皆をけしかけ、市にリンチを加えさせる。
必死で止める幼馴染み。
だが、大勢の民は棍棒で市を滅多打ちにするんだ。
そして市は反撃し、賊を皆殺しにして子どもたちを助ける。
賊の女の赤ちゃんをこの町で育てて欲しいと言って、町を出ていく市。
それを赤ちゃんを抱きながら見送る幼馴染み。
これを友情というのか、どうか。
幼馴染みは必死で抵抗したが、結局この町の人々自身の手により滅多打ちにされた市。
悲しい物語だったんだよな。
自分ならばどこまでかばえるのか?
硬骨漢を自認するならば、常にこの問答が心に鎮座していなければならん、と俺は思っている。
戦場というものにおいては、常にこの判断が問われる。
ジャングルの中でも、空母の上でも、兵舎でも。
そして、この日常にも当然のように闘いはあるのだ。
追伸
硬骨漢の第一の条件とは?
俺が思うに人の迷惑を顧みないものは硬骨漢ではない。
遠慮を知り、自制を知る者。
それが硬骨漢の入口であると俺は信じている。
その者が悩みながらも生き様を貫くから、硬骨漢なのだ。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI
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