朝は雨だったが、現在陽が差している。
空を見上げると、
東側が青空にちぎった綿を散りばめたような空、
西側は今にも雨がふりそうな黒い雲。
ニトリの涼感シーツをベランダに干しコンビニへ。
エブリィに乗り、線路沿いの道に出ると、奥多摩の山々、そして空が見える。
西の空に青空が見えるから、パラパラと通り雨はあろうが、日中は概ね天気はもつだろう。
と思ったら、ポツポツと雨が降ってきた。
近くのコンビニだったゆえ、大して濡れずに済んだ。
コロナに対する俺たちの接し方はこんなもんじゃなかろうか?
気象予報士は気象のプロである。
その気象予報士が個人にああせい、こうせいとは言わない。
例えば、昨夜のニュースでのきょう日曜日の天気予報は曇り。
よって雨が降らないだろうと、洗濯物を出しっ放しにすれば、びしょ濡れになる。
だが、それは気象予報士や天気予報が悪いのではない。
自分のカンが鈍っているのと、その判断の下、行動した自分が悪いのだ。
洗濯物が濡れたら悔しいが、それは自分の読みが誤っていた、と素直に自分のカンを経験により微調整するような人間であれば、同じような境遇でより慎重な判断をするようになるだろう。
ゆえに、痛い目に遭う事は自然と減るのだ。
これを気象庁や、気象予報士、天気予報のせいにして自分の非を認めぬボンクラはいつまで経っても、そのまま。
せっかくの経験を無にしているのだ。
何度も書くが、世の中の事象を感じる、見る、のは自分である。
ゆえに、万物流転の中心に自分がいる。
これは独善的に世を見よ、というのではない。
その逆だ。
世の中の事象を変えようとする意欲はあっても、それが到底かなわぬモノがある。
そんな時、その理不尽をどう感じるかにより、人生は大きく変わってくるだろうな。
俺が好きな人間、
仲間としたい人間とは、
そんな理不尽をグッと飲み込み、それでもへこたれぬ強き心を持つ者。
そう、豪傑、好漢、そしてサムライである。
最近、2つの時代劇の映画を見た。
一つは上戸彩、西田敏行が出ていた『武士の献立』
もう一つは大沢たかおが主演の『桜田門外の変』
ともに面白かったし、若き日本の芸能人が、日本の時代劇でサムライやサムライの妻を演じる事を素晴らしく感じる。
切ないのだ、組織に生きる者は。
理不尽に揉まれ、それでも信ずる道を捨てぬ者。
この切なさが、日本の心なんだろうな。
『武士の献立』で、包丁侍と藩の中で揶揄される武士の調理人の家計。
家督を息子に譲る親父役を西田敏行が演じていたんだけど、無礼極まりない中傷に怒る息子を叱りこう言う。
我らは藩に仕える身。
武士ならば、仕事に私情を持ち込むな!と。
この親父の切ない心、若い頃にはわからなかったな。
今ならよくわかる。
俺にも同じような経験あるよ。
戦争の話になった時。
いかに親父やお袋が戦争で苦労したか、涙を流してきたかはガキの頃から話を聞いているからよくわかる。
家族をそんな目に遭わせた戦争や国が憎くて、いつか仇をとろうと思っていた。
そして、ギロチンテラーでその思いを胸に
『日の丸よ灰になれ』
『Nationalism Fuckoff』
を作り歌ったのだ。
何年か前、そんな話を親父やお袋としてね。
家族が殺された者が、テロリストになって、国の理不尽を叩き斬って、革命をおこしてやりたいと思うのは当たり前なんじゃないか、と。
俺も家族が悲しいめに遭ったらそう思うし、そうするだろう、と。
そしたら、親父もお袋も黙ってね。
しばらく沈黙が続いた後、
お袋がこう言ったんだ。
「そんな事より、仕事を頑張って、〇〇ちゃん(娘の名)と〇〇ちゃん(カミさん)を路頭に迷わせないようにしっかり養いなさい!」
これが親の真の願いでもある、と思っている。
子どもの幸せを何よりも願っているのが親なのだ。
だから…。
日常生活をまずは頑強にし、その中で出来る事をやるべきだ、との思いを強くしている。
家族、恋人、仲間を大切にする者こそ、真の豪傑であるとの思いも揺るぎない!
俺の場合、ここに会社、社員も加わる。
それを重々わかった上で、家族を置いて戦いに行く者には、熱い涙と強きエールを贈るのだ。
例えば、特攻隊のように、
例えば、防人の歌の防人のように、
例えば、西郷隆盛やチェゲバラのように。
そして、今こそ歌いたい。
国を守るために、辺境に行く者を讃える歌を。
どうか無事でいて下さいと願う祈りの歌を。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI