♬雨はいつから 降り出したのか
と歌いたくなる雨の土曜日。
雨の歌っていっぱいあるな、と前も書いたが、俺の書いた歌詞に【雨】という言葉を使ったものがあったかな?
と思ったら、新曲『旭日ニ糺ス』にあった!
ほかにもあるかもしれないが、今パッと思い浮かぶのは新曲だな。
【雨】をお題にした曲。
こんなに雨が降っている今、雨の歌を作るにはいいかもしれないな。
コロナ禍真っ只中にあるが、4月辺りの緊張感はない。
マスク、手洗い、消毒。
今や普通に生活の一部になっている。
密を避けて、皆が遊びを我慢している。
いいとか、悪いとかではなく、これが日常になってしまったのだ。
昨日、ニュースである感染症の先生が言っていた事は、おそらく感染症を知る先生方の総意であろうと感じた。
曰く、今までのような無邪気な時代には戻らない
言葉自体は忘れてしまったが、こんな事を冷たく言い放ったのだ。
世の中を無防備に、無邪気に生きる者には死刑宣告であろう。
だが、それが現実であるのだ。
この寂しさ、この厳しさをグッと飲み込まなければならない。
そうしなければ、始まらないからだ。
ある者は、これからの時代の変化をそのまま受け入れ、狭まるであろう選択肢の中から、それでも己を貫き、面白おかしく生きるだろう。
ある者は、新たな世の中に従い生きるが、その寂しさに耐えられず、口を開けば愚痴を言う、若くして老いた寂しき人生を生きるのだろう。
ある者は、以前と変わりなく無邪気で無防備に生きようとするだろう。
そしてその中でも奇跡的にコロナ禍を突破する者と、コロナに絡め取られ、自身が苦しみ、他人に感染させてしまうだろう。
どれがいいのか?
何度も言うが、政府や地方自治体にそれを委ねるのは、どう生きるかを決める権利を放棄する事にほかならない。
どうも解せないのは、普段政府の強権を否定しているのに、こんな時には政府の無策をあげつらう。
完全なロックダウンなんてしてみな。
ズッタズタにコミュニティが切り刻まれちまうから。
そして、それが時間をかけて元に戻ればまだいいが、元には戻らぬかもしれない。
自分で決めるしかねぇんだよ。
そして、それは誰のせいにも出来ない。
自分で何とかしなきゃならない事に早く気がつかないと。
赤ん坊みたいにさ、泣けば誰かが優しい手を差し伸べてくれるなんて思わない方がいいぜ。
そもそもいい歳こいて愚痴しか言わない者に、誰が親身になって手を差し伸べるというのか。
政府がやるべきは、対外的には強制的な入国制限。
国内では、生活必需品の価格統制、医療態勢の確保。
あとは、自分たちで危険を察知し、
どう生きるのか?
どう遊ぶのか?
自分の責任において、すべてを決めていくしかねぇんだよ。
そこに政府の権力を介入させる事に俺は反対だ。
何もしないと批判される現体制だけどさ、必要最低限の事しか出来ないよな。
それ以上踏み込むのを躊躇しているだけ、日本の体制っていうのは個人の自由に対して良心的なんだろうな。
世の中は変わる。
劇的に、そして確実に。
無邪気な時代は過ぎ去ったのかもしれない。
だが、人の温もりというのは、心ある人が存在する限り不滅なのだ。
昔は良かった!
なんて言って生きるなんて俺にはない。
あるのは、今、この時でも、面白おかしく生きている!と思える心。
自分がどう生きるのか?
シビアな時代を少年の心で。
出来る限りの予防をしながらも、コロナにかかってしまったらしょうがない!
出来る限りの予防をしながらも、コロナを移してしまったらしょうがない!
これは諦めではなく、現実を受け入れながら、人生を謳歌しようともがき爆走する者の、心の路側帯である。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI