梅雨の時期の一時の晴れ間。
木々は瑞々しく潤うが、それをお天道様が照らすから輝いて見えるわけで、雨の中、雨粒にうたれる木々を見てもそうは感じない。
山は好きだが、山の中に住もうとは思わないのだ。
山が見える場所に住みたいのだ。
この微妙なニュアンス、実は物凄く大きな違いがある。
渦中にあってはわからぬ事が、距離を少し空けるだけで、断然見えてくる。
池波正太郎『西郷隆盛』
このところ、ブログにこの文字を毎日書いているように思う(苦笑)
いよいよ西南戦争。
熊本でボロボロに負けた西郷軍が薩摩に戻って来る辺りまで読んで寝てしまった。
死ぬことを厭わない人間というのは、得体の知れぬ強さがある。
西郷さんは、そういう人間だったんだな。
チェゲバラもそう。
仁義と命をはかりにかけたら、仁義を取るのが、西郷隆盛やチェゲバラという英雄なのだ。
仁義を至誠、あるいは正道、あるいは人道と変えても同じだ。
近くにいたらその烈しさにめまいがするだろう人物。
だが、少し離れて見ていたい。
西郷隆盛やチェゲバラというのは、同時代、もし自分が彼らの近くにいたら激しく影響されるか、袂を分かつかどちらかだろうな。
その激烈なる生き方、大きな人徳に圧倒されただろうね。
そう、西郷隆盛やチェゲバラというのは、故郷の山河なのかもしれん。
近過ぎると、全容も掴めず、良さもわからない。
だが、離れてみると、その偉大さに感嘆するのだ。
そうだな、俺にとっては千曲川であり、冠着山なんだな。
まあ、そんな感情を歌にしたいが、叙情的過ぎればスケールの大きが伝わらず、スケールの大きさを表現すれば、校歌や軍歌のように勇ましくなりすぎる。
雨に濡れた柊の葉から、時代を変えた英雄を思い、故郷の山河を想起し、また雨に濡れた柊の葉に戻る。
そんな歌詞を書いてみたいものだ(苦笑)
散文ならば書けても、歌詞として書くのは難しい。
ぶつ切りの歌詞でそれを伝えようとするには、もっと活字を読み、感性を純粋なままにしておく必要がある。
池波正太郎は、西郷隆盛を
詩人の心を持つ政治家であった!
と書いている。
詩人のような純粋なる感性がなければ、無私無欲で人を助けようとは思わないもんな。
俺はといえば、いまだにそういう気持ちがあるから、夢見る純粋なロマン派であり続けられるのだろう。
男にはロマンが必要なのだよ。
さて、明日は
ソウル・演歌・歌謡曲専門レーベル
【花と龍】のリリース第3弾‼️
大和岳志ヤマトタケシ
弾き語りアルバムのレコーディング。
全10曲録り切る予定だ。
俺はプロデューサーとして、1日レコーディングに立ち会い、レコーディングを見守る。
強力な弾き語りのアルバムをバリバリリリースしていきますよ。
なんてったって、生の躍動感!
生身の人間の声とアコースティックギターの熱さ!
パンクスのヤケドするような熱い弾き語りを、バリバリリリースしていきます‼️
電源なくても表現出来る最小限のユニット、弾き語り。
こんな原始的で、ロマンチックで、破壊力抜群の表現形態、弾き語り!
『男塾』はこのコロナ禍、しばらく様子見だけど、
レコーディングは出来るので、いい演者をバリバリリリースしていきます。
【花と龍】
こちらにも注目して下さいね!
追伸
吼流魅KURUMI弾き語りもよろしく!(笑)
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI