朝6時、多摩川沿いを現場に向け走る。
本日、世田谷区某所にて親墨出し。
ほかに業者はいない。
所長が気を使ってくれたのだ。
多摩川の土手を散歩あるいは走る人の多さに驚く。
まだ6時だぜ。
皆、風に当たりたいのだろう。
いいのだ、それでいいんだよ。
歩いて近所の川へ行く、あるいは山へ行く。
それはそういう環境に住んでいる人の特権なんだから。
このコロナウィルス禍。
おそらく、田舎暮らしをする人が増えると想像する。
勘違いしてはいけないのは、まるっきり元どおりには戻らないという事だろうな。
それをしっかり想像しておかないと、おそらくまた時代のせいにしたり、人のせいにしたり、政府のせいにらしたりする事になる。
そんな、精神が荒廃した荒れ地を、正道を貫き通す者こそ、好漢、豪傑であると思っている。
食料も、出来る事なら自給自足にシフトしたほうがいい。
野菜くらい家庭菜園で、と農地を求め、水辺や山の麓など、自然が身近にあって、都心まで通勤出来る郊外が見直されると思う。
自然に抱かれよ!
人間がピンチになった時の本能だ。
北方謙三氏のインタビューを読んでいる。
2009年、このコロナ禍も東日本大震災もまだ起きていない時代のインタビューだが、歴史を学び、途方もない時間に生きては死ぬを繰り返す人間の機微を知る人にしかわからぬ、揺るぎない自信。
北方謙三氏の著書『望郷の道』を引き合いに出し、こう語る。
「明治の人たちが今の日本をつくってきたと思います。自分の信念を持ち、事業に対するあくなき執念と正義に燃えて事業をやり遂げる、そのことを誇りに思う人たちがたくさんいたんだと思います」
北方氏はそしてこう語るのだ。
「労働することを尊いと思う心が、今の日本人には欠けています。~中略~労働というのは、たとえ職がなかったとしても、足元の地面を耕して種を植えるというふうに、とりあえず自分で仕事をつくって自分で働く。金になろうがなるまいが、一生懸命、汗水垂らして働く。そこに何か返ってくるものがある」と。
冷酷なる歴史の審判を受けてきた事案をいくつも学び、世に男気と正道を提唱してきた男の言葉には説得力がある。
そう、待っていてはダメなのだ。
自粛しながらも、お金を稼げる事を探す。
マスクを作ってネットで売るでも、何でもいい。
何度も言うが、国はあてにしないほうがいい。
あればラッキーくらいの思いにしておくべきだ。
昔ならば、そんなものはほったらかしにされていたはず。
だが、民は知恵と体力と信念で泥水をすすりながらも生き抜いてきたのだ。
その意気地があれば、何があっても大丈夫。
生き抜いていけるだろう。
命を人任せにするべからず!
我が人生は我が決めるのだ!
今の世の中に、そのくらいの気迫が欲しい。
このコロナ禍で、今まで大きく見えていた者でも、対処の仕方次第で男を下げてしまうだろう。
逆に今まで目立たなかった者でも、力強く、逞しく、生き残るために様々工夫する者は、力を持ち得るだろう。
そして、何としてでも生き残ろうとする者は、我が力を得て生き残るのだ。
このコロナ禍前と後とでは価値観は変わる。
今、どう生きるか?
そして、これからは?
人間そのものの力が問われるんだぜ。
面白い!
面白くなってきた!
スリルある時代を生き残るのは、野性を持ち続ける者。
そして、これは歴史の必然だが、大義ある者。
すなわち、正道を行く者である。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI