朝はまだ肌寒い東京東村山市。
新青梅街道は空いている。
先日の遣り方で変更が発生。
改めて位置関係を設計し直し、本日の改めての遣り方となる。
今回はX方向が3ミリと10ミリずれて捻れる。
すると、道路に墨出しした通り芯逃げ墨は全てやり直し(涙)
打ち込んだ鋲も抜いて打ち込み直すという作業から始まるのだ。
最後の最後まで揺るぎなき不動の基準を、
常に、いかなる状況であろうとも、基準となるものを示していくのが墨出し屋の使命なのだ。
我社は創業16年目。
建設業許可の申請したのが、11年前か。
2回目の更新をもうすぐ迎える。
さて、その建設業許可更新。
雇用保険の領収証やら、過去5年間の工事履歴書など、書類を用意しなければならない。
その中に社長である俺の身分証明書というものがある。
これは本籍地の市役所でなければ取得出来ないもの。
俺は親父に頼んで取りに行ってもらったら、本人でなければダメ、だという。
あるいは委任状が必要。
親父に委任状を送り、取得してもらって、身分証明書を送ってもらうには手間がかかる。
何より高齢の親を、普通ならば行かずとも済む市役所やら郵便局に行かせる事に強い抵抗感があった。
ゆえに俺は昨日、実家のある市役所へ行った。
お天道様よ、故郷よ、新型コロナウィルス渦中にある東京から故郷へ行く俺を許し給え。
親父にそれを伝えたら、家に寄れ、という。
俺は、もし俺にウィルスが付いていて感染させたら大変な事になる!と言い固く断った。
すると、米やら野菜やらを渡したいから、と譲らない。
ならば、と市役所の駐車場で会い、それらを受け取る事になった。
事態は緊迫の度を高めている。
ならば、と市役所の駐車場で待ち合わせする事にした。
俺自身、親に会うのは夏くらいだと思っていたが、親はいつまで経っても親なのだ。
そして俺はいつまで経っても言うことをきかず、絶えず心配をかけるガキなのかもしれない。
場所がわからないだろうと、親父が道路に出て待っていてくれた。
お袋は車内から出てきた。
さっと開けた実家のクルマのハッチから、野菜や果物、醤油、味噌、蕎麦、米などを受け取り、すぐに俺の愛車に乗せ替える。
じゃあね、ありがとう!
と言って、俺は親を振り切り市役所へ入る。
入口の消毒液が空だった。
手続きし、後ろを見ると、両親が座っていた(苦笑)
2、3分で身分証明書を取得。
俺たち親子はこの2、3分会話をした。
GWに帰れない事、東京の状況、必ず手洗いうがいをする事を一方的に話し、頷く親。
長居は出来ぬ!
書類をもらい、外へ出たら、メシでも食おうと親父。
それはダメなんだ、出来ない、と言ったらコンビニでお握りを買ってくるという。
俺はそれを強く断り、親の子への思いを泣く泣く引き剥がし、無情にも俺のクルマに乗り込んだ。
止めてくれるな、おっかさん!
戦争だよ、これは。感染病との戦争だ。
戦時下の日常なんだ。
そう己に言い聞かせ、親を市役所の駐車場に残しアクセルを吹かしたのだ。
ここまで来たら、せめて墓参りだけでも。
だが、私用は厳に慎まなければならない。
皆、耐えているのだ。
親の顔が見れただけでも良しとしなければならないのだ。
国道18号線。
店は閉店が多い。
痛めつけられている故郷。
やるせない思い
遅い昼メシはコンビニで、と思ったが、隣町との境にステーキ屋がある。
せめてここで金を使おう。
そう思ってチキンステーキを頼んだ。
レジの近くには地元のバスケットチームからの支援だろう。
選手の物が飾ってある。
そして瀬戸物がいくつか。
刺身をのせるとお洒落な皿を8枚、800円で購入。
高速にのる手前で桜が綺麗な場所があった。
少しだけ、桜を。
クルマで遠回りし、桜の木の下で深呼吸し、愛車に乗り込んだ。
サービスエリアにも寄らず、八王子の我が家に着いたのは5時前。
この4月、故郷はまさにこれから最高の季節を迎えるが、俺にとっては切ない帰郷となった。
いや、誰もが切なさに耐えているのだ。
帰宅したら、カミさんが野菜やら米を凄くありがたがっていた。
娘が部屋から出てきて、
「パパ、オンライン飲み会楽しいよ!」
2時くらいから友達としゃべりまくっているようだった。
家族のその姿に、少しだけ慰められたのだった。
吹けよ、俠の風!
呼べよ、俠の嵐!
心に日本刀‼️
甦れ武士道‼️
〓Japanese Hardcore & Soul〓
GUILLOTINE TERROR
吼流魅KURUMI